ひみつきち(´・ω・`)
横書き文学のゼヒ。
さっそくネタに困っております。さて、第二回。
横書き文学のゼヒ。漢字にすると「是非」ですね。
さて、横書き文学と言って思い浮かぶものは皆さん恐らく「携帯小説」だと思います。
そしてこの携帯小説の代表作といえばやはり「恋空」でしょう。一昨年の10月に書籍化されたので、そろそろ2年ですね。
ところで、この「恋空」、本好きな私でも読むことは躊躇しています。理由はいくつかあります。
まず、横書きに読みづらさを感じられずにはいられない
こと。もう一つは私の嫌いなTypeの女子 (わかりますよね?)が愛読している
こと。
前者について検討してみましょう。何故読みにくいと感じるのか。それは恐らく、一行の文字数が少ないからだと思います。
ここで「ライトノベル」にも触れておきます。これは新しい文学の形の一つとしてあげてもよさそうです。
軽く(light)読める小説(novel)ですね。携帯小説とは対照的に、私は最近これを好んで読んでいます。
性格も、携帯小説とは相反しています。縦書きです。そして、一行がやたら長い気がします。
「涼宮ハルヒ」シリーズはその典型かもしれません。
本題に戻すと、一行の文字数が少ないと何故読みづらいかは単なる慣れの問題だと思います。
しかし、後者の「読者層」、これは手ごわいかもしれません。
この携帯小説というのは、おそらく「推敲」がなされていません。女子高生とかがメール感覚で、気軽に投稿する類のものですから。
もちろん、そういう点をきちんと考慮して投稿されている方もいるとは思いますが。
でもって、携帯小説の代表作「恋空」、Wikipediaによれば誤字脱字、慣用表現の誤用が多いんだとか。
ネット上では、この恋空、相当叩かれてます。この件に関しては特に触れませんが。
こればかりは、慣れでどうにかなる問題ではない、というより慣れてはいけない、定着してはいけないと思うんです。そういう傾向は。
今日まで一般的な文学作品を読んでいた我々が、携帯小説に馴染めない。このことは何ら不思議なことではないのです。
ところで、なぜこのような携帯小説の話をしたのかというと、こんなニュースを目にしたのです。
「瀬戸内寂聴さん、86歳でケータイ小説に挑戦」
・・・えぇ!?w
ニュースの記事全文を読んでみて、ちょっとした感動を覚えましたよ。流石、教養のある人は違うんだな、と。
書籍として作品が出版されるらしいので、興味がある方は読んでみては?私もなんか読んでみたいと思いました。
(2008/9/26)
≪参考≫
恋空−Wikipedia
瀬戸内寂聴さん、86歳でケータイ小説に挑戦−ITmedia
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